和朗フラット四号館に入居ご希望くださる皆さまへ
和朗フラット四号館歴史
和朗フラットは、東京・港区にある、木造・洋館造りのアパートです。1936年(昭和11年)前後に、賃貸の集合住宅として、全五棟が建てられました。地名を麻布区飯倉片町といっていた頃でした。和朗(わろう)という名称は、ここに縁ある人が、和(なご)やかに朗(ほが)らかにすごせるように、と願ってつけられたそうです。
五棟のうち、当初の一番館は1945年2月,東京大空襲のとき,焼夷弾で焼失。その後、公共地図上で番号が繰り上がり、現在、一号館(港区麻布台3-3-26)・二号館(港区麻布台3-3-25)・四号館(港区麻布台3-3-23)が、別々の所有管理のもと、アパート業務を続けています。
五棟の設計者は、建築主・上田文三郎。外観のモデルは、1920年代後半、アメリカ旅行で見た、西海岸の明るいコロニアル式住宅ではないかといわれます。しかし内部はすべて、白い漆喰(しっくい)塗りの壁、濃いブラウンの床板と木部、にぶく金色に光る真鍮の部品という組合せで、ニューヨークなど大都市の、堅実なアパートメントを思わせます。
設備面の特徴は、建築された約70年前から、トイレが洋式で水洗だったこと(浄化槽使用)。タイル貼りの浴室があり、その中に、浴槽と、部屋によっては、洗面台・トイレも配置されていました。 都市ガスが浴室・台所・居室に配管され、別に、一号館と二号館では、各戸に、地下ボイラー室から蒸気を送る、いわゆるスチーム暖房が使われていたそうです。居室は全室家具つき。ベッド・テーブル・椅子2脚・電気スタンド・ガスストーブという備品名が、古い契約書に残っています。
上田文三郎にとって、居宅の設計・建築は、好みの趣味のひとつでした。和朗フラットのデザインは、それまでの見聞や、美術品への興味、またおそらく、外国の建築雑誌などの総合から生まれたものでしょう。楽しみながら理想を描き、現実と折り合う案を練り、大工さんグループと相談しながら、一年〜二年に一棟ずつ、建てていったといわれています。